日誌#1

本日レディースデイ。日中女性数名、リード講習1名、男性数名。ストーブは出したけどまだ未点火。今夜寒いようなら、今冬一発目の点火にしよう。今冬から時間を決めてウェルカムホットドリンクを出そうと考えている。インスタントだけど。例年の灯油協力金100円もよろしくお願いします。

ゆびまかせ#3

 クライミングでもマラソンでも仕事でもなんでもそうだけど、どう考えるか?ということについてしばしば考える。大きく整理すると2つの方向性があると思う。小さく考えるか、大きく考えるか。目の前のことに集中する、一瞬一瞬を大切にする、今を生きる、刹那を生きる、と表現されるような考え方。これが小さく考えるという方向性。一方、春夏秋冬一年のサイクルの中で生きる、ピリオダイゼーション、人生のステージを思う、などといった考え方。これが大きく考えるという方向性。自分の内側から見るか、自分を俯瞰してみるか。つまるところ主観と客観ということか。一般的に若い時は前者が勝り、年を追うごとに後者が強くなる。2つの考え方は明確には分けれないし、混合しているし、その割合は刻々と変化する。どちらが良いか悪いかとも言い切れない。どちらも良いところも悪いところもある。具体的、抽象的。白か黒か、はたまた灰色かグラデーションか。動くか止まるか。考えるか行動するか。答えが出ない問いの中で人は生きていくという答え。…言葉遊びだね。

ゆびまかせ#2

 私は勘違いしている。私小説を発表する作家きどりか?いや、まて。世の中にはFBやインスタで自分を発信する人が普通にいる。みんな自己顕示欲のかたまりじゃねーか。私がここに文章を打ち込んで、集客につなげれないかと考えるのは、個人事業主として健全な行為ではなかろうか?まあ考えているほど多くの人が読むわけでもないし…。自分の心の遊び、ささやかな文章修行ということで公開しても罪には問われまい。

他人に見られるというのは気持ちに大きな影響を与える。クライミングも同様。それが原因で落ちたり、登れない、ジムに行けないということがままある。ゲッコーはその辺を十分に察しているジムであるぞよ。

「壁ドン!」というマンガはこれまで出たクライミングマンガと比べて、そのジャンルの進化を感じた。

ゆびまかせ#1

キャンプから帰ってジムで道具片付け。タープが焚火臭い(母は「ふつぶりくさい」という表現を使う。標準語ではなんというのか?)広げて乾かすとジム中ふつぶり臭くなった。お客さん数名。夜、町内会寄り合い。明けて月曜、公民館掃除当番が回ってきているので午前中に済ませる。午後、本屋をぶらついていたら、昔の会社の後輩に遭遇。彼は今や社長。夜、このように他人の目に触れる内容の文章を日々更新するということについて考える(というか昔からずーっとそんなことばかり考えている)。日記とは本来他人には見せないもの。作詞家・阿久悠の「日記力」という本を読む。子規の日記、西田幾多郎の日記などもたまに読むけど、集客や経営改善には役立たんよな~。

マイナス→プラスで愉しむ

 自虐ネタの芸人ヒロシは今、ソロキャンプのユーチューバーとしてかなり有名であることを知った。ジムのお客さんでも知っている人が何人かいた。動画は焚火をして肉を焼いたり何か語ったりするだけ、ただそれだけなのだが、見ていてひとりでに微笑んでしまうような、癒されるというか心和むものだった。その中に、火打石でなかなか火がつかないシーンがちょくちょく出てくる。ライターで付ければ一発なのだが彼はわざわざ火打石にこだわる。そうやって漸く燃えあがった焚火は、見ているほうも貴重で大切なものに思え、温かい火に感じるのだ。そこがいい。

 いろんなものを買って消費することをプラスの愉しみとするなら、ヒロシのソロキャンプはマイナスの愉しみだろう。電卓を使わずに暗算で答えを出せば少し頭が冴える、車で行くところをロードバイクで移動する、GPSを使わずに紙の地図で登山する、フリークライミングも道具に頼らず自分の手足だけで登るという面で、マイナス系の遊びだろう。マニアックだけど、雑穀のボルトが打ってあるジョーズは、リムーバブルプロテクションで登れば充実感が増す。マイナス系は突き詰めるとストイックになりすぎて辛くなる場合もあるけど、逆にプラス方向へ向かうとまた楽しめる。ジョーズをナチュプロで登ったあとでボルトで登ると、ボルトの安心感を大きく感じてまた楽しい。明晩の雑穀キャンプもその方式でいこう。土曜の夜は寒さの中で飲み食いした後シュラフで眠り、帰宅してから自宅と布団の快適さをかみしめていつもよりいい気持でぬくぬくと眠りたい。コスパの高いライフスタイルではないだろうか?

 

 

新Webサイトスタート

ゲッコーを始めて24年目の年も余すところ1月半ほど。流行のボルダリングジムと違いお客さんがドッと押し寄せることはない。でも何とか継続していくには一人でも多くの人に知ってもらい来ていただく他ない。新しいWebサイトはいろんな人々とゲッコーをつなぐ扉。こまめに更新してゲッコーの今を伝えたい。

雑穀谷2019 クライミング女子&お母さん

昨年11月からゲッコーで練習した成果を試す時が来た。2019年6月2日(日)雑穀谷は薄曇り、暑からず寒からず快適なコンデション。堰堤工事のトイレや水道がクライマーに配慮して自由に使えるのでさらに快適。駐車スペースも昨年より広く整備された。当初私が期待していた自然の岩の子供たちによるリードには至らなかったが、約半年のジム練習で女子2名とそのお母さんは見違えるほどクライマーらしくなってきた。この日岩場に来ていた10名以上のゲッコーメンバーが応援してくれるなか、涙あり笑いありの充実した日曜となった。

 クライミングジムの人工壁は楽しいけれど、どうしたって自然の岩の理屈抜きのすばらしさにはかなわない。ゲッコーの基本姿勢は「人工壁のボルダリングを入り口としてアウトドアのロッククライミングまでを老若男女に優しく広める」ということであることを改めて自覚した。

ゲッコー通信

弥生、三月に思うこと

2019年も早2ヵ月が過ぎた。3月はゲッコーを開いて25年目に入る。この間いろんなことがあったけど、ここ数年の変化には驚くばかりだ。ジムの激増やオリンピック競技採用によってクライミングやボルダリングの大衆化、娯楽化が進む中、先日はクライミングのドキュメンタリー映画がアカデミー賞を取った。自分が20歳位から取り組んでいるクライミングと、今社会に広く認知されつつあるクライミングには大きな開きが生じたと思う。というか、もともとクライミングというものの中にあって、自分には見えていなかったものが、大衆化によって顕在化したというのが正しいのかもしれない。若い時に考えていたことと、今50代後半に考えるクライミングにも同じようなことが言える。クライミングという単に登るという行為に、まだまだ尽きぬ魅力を感じる今日この頃。

一つのことを深く掘り下げるには、世の中には選択肢が多すぎるし、人生は短かすぎる。
一人でも多くの人がゲッコーに来てくれ、その内の誰かとヨセミテとかヨーロッパとか海外のクライミングに出かけることが残り10年前後のクライミング人生の目標だ。

ゲッコー通信

2019年2月12日(火)

もう積もらないかな?

除雪に明け暮れた昨冬と打って変わって、今冬は全くその必要がなく大変助かっている。GW明けの雑穀リードを目指して子供たちや新しい仲間のトレーニングが順調に進んでいる。雑穀にとどまらず県外のメジャーな岩場へ新しい仲間を含めたゲッコーメンバーで出かけるのがここ数年の目標であるのだが、ジムスタッフや経営状況の都合でなかなか実現できない。一人でも多くの人が自然のフリークライミングに興味を持ちゲッコーを利用してくれればその実現に近づく。富山で安定した生活を送りながら休日は自然の中でのクライミングを楽しむ、そんなライフスタイルをもっと広めるために地道にジムを続けて行きたい。自分の技術、体力も日々維持向上させて行きたい。今年の雑穀の雪解けは少し早いかも?

ゲッコー通信

2019年1月24日(木)

ボルダリング富山県体のお知らせ

久しぶりにゲッコーで県体を行うことになりました。4月21日(日)開催決定です。それに合わせて4月15日(月)あたりからホールド替え、課題セットなどを行います。県体は国体予選ですが、いろんなレベルの方が気軽に参加できるものにしたいと考えております。選手のみならず審判の勉強とかホールド外し、受付、ボルダリングやクライミングに興味のある方、どんな形でも参加、ご協力いただける方募集しております。 詳細は追ってお知らせします。