ゲッコー通信

12月11日(火)

元旦ボルダリング、クライミング

毎年1月1日の13:30~17:00ごろジムを開けている。たまにはいいか、ということで今年の元旦はジムを開けなかった。いろいろ悩みは多けれど、とりあえず健康で日々登れていることは幸せなことである。よって今年もつつがなくの祈りを込めて2019年元旦クライミングを再開しようと思っている。別段何かイベントをやるわけでもなくいつも通り登り、しゃべるだけです。ボルダーもいいけど、誰かとロープを結んでリードしたいですね。

ゲッコー通信

2018年11月29日(木)

同じルートを登ることから見えてくるもの

こんな経験はないだろうか?

中学や高校時代の課題図書で夏目漱石をむりやり読んで、まったく面白くもなんともなかったものが、大人になってからもう一度読んでみると、その面白さに驚いてしまう。若い時に感じる面白さと、年齢を重ねるなかで感じる面白さの質が変化するからだろう。

クライミングにもそれは言える。若い時トレーニングをガンガンやってやっと登れたルートを10年20年後にまたトライしてみる。力づくでねじ伏せた感のあるルートが今やると全くだめどころか、意外に簡単に登れてしまうこともある。極小のスタンスに足を乗せる冷静さが経験により身についたりして、筋力的にかなり衰えていても登れることがあるわけだ。今増えているボルダリングジムでは、なかなかこんな体験はできない。ゲッコーでもジムのボルダリングだけではなかなかこの辺のことが伝えられないけど、生岩クライミング教室や会話の中で伝えることはできる。クライミングが子供から大人までそれぞれの愉しみ方ができる奥の深いものであることの一例だと思う。何事も一長一短があるわけだが、グレードしか見えていないクライミングとか、次々と課題チェンジする消費化に走るボルダリングからは見えないクライミングの魅力かもしれない。

ゲッコー通信

2018年11月17日(土)

文章について、あるいは上達について

自分が面白いとか好きだと思う文章に出会いたいと常々思っている。そして頻繁に書店を彷徨う。またそんな文章を自分でも書けないかと夢想する。あわよくばそんな文章を人が読んで買ってくれないかと妄想する。世の中にはそんな愚か者をカモに、文章読本とか小説作法といった類の本が氾濫している。文章に限らずスポーツとか楽器演奏とかの教則本も多い。クライミングやボルダリングの本もずいぶんと増えた。

プロ野球の松井秀樹が引退後、新聞にコラムを連載していた時があった。それは我が家で購読している北日本新聞にも載っていて、一読後その文章に魅かれた自分は次の掲載を心待ちにしていた。のちに「エキストラ・イニングス 僕の野球論」と単行本化され改めて買って読んでもみた。松井の文章の何に魅かれたのだろうか?文章のプロでもない松井が書いている意外性か?隣県石川出身の親近感か、単に松井が好きなのか?普通の文章なんだけど、まじめさとか知性とか深く考えているんだなといった雰囲気が伝わってくる、それもどこか爽やかに。文体ともいえないし、自分がいいなーと思うとしか今のところ表現できない。

自分がいい感じだと思う文章がなぜそうなのか辛抱強く考えることをしないで、すぐにハウトゥー情報にその答えを探そうとする。その安易さが上達を阻んでいる。というか何につけ上達したいとか、うまくやろう、効率よくやろうと思ってしまう。そう思った瞬間に捕まえたい物事がスルリと逃げて隠れてしまう。ゲッコーの存在がこれを象徴しているのだが、ゲッコーを通してクライミングすることが上達への近道であるというパラドクスも成り立つのではないか?なんてことも妄想する。

ゲッコー通信

11月1日(木)

冬支度

ストーブを出した。日中、点けようかとも思ったが意外に暖かいのでやめる。夜お客さんが居てその時冷え込んでいたら点けよう。一昨日は扇風機を仕舞った。ゲッコーにあるこの使い込んだ冷暖機器、出すときも仕舞う時も季節の移ろいや、これまでのジムの来し方を感じずにはいられない。クライミングやボルダリングはスポーツとしての面が今大きく世の中に広がっているけど、小川山のカラマツの黄葉の中でのボルダリングだとか、雑穀谷の秋の青空だとか自然を感じる登山の一分野としてのクライミングを忘れたくない。ゲッコーはそんなクライミングを伝え実践する場であり続けたい。仕事終わりはゲッコーで登り休みの日は外へ出かけよう。

 

クライミング教室10月募集分は10月20日締め切りです

2018年10月16日(火)

クライミング教室10月募集分は10月20日締め切りです。

教室のページをご覧ください。

自然の岩の魅力

FMラジオでボルダリングの魅力を紹介していた。いろんな難易度レベルの課題があるから初心者から上級者まで誰でも楽しめる、道具がいらない、体一つでできる気軽さ、ダイエットや肩こりにも効果あり、頭の体操になる…などなど。全くその通り。でも私が特に思うのは自然の岩の魅力だ。自然の岩は触るだけで地球からエネルギーをもらえるような気がする。岩や巨石といった中身がぎっしりと詰まった圧倒的な存在はジムの小さなホールドや張りぼてでは感じれない安らぎみたいものを与えてくれる。

ジムでのボルダリングは気軽で楽しいけど、自然の岩を体験するための入り口とも考えることができる。ゲッコーではともに外へ出かける仲間を待っています。

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クライミング教室参加募集中です。(教室のページをご覧下さい)

10月5日(金)

いつでもオンサイト?

 知り合いの70代の方がおっしゃった。とても博識があり聡明な方なのだが、最近はふとしたことが思い出せないことがあるそうだ。昨日もおにぎりを3ケ作ってひとつは後で小腹がすいたときに食べようと、どこかにとっておいたところ、それがどこだったかどうしてもわからなくなってしまったとのこと。

 笑って聞いていたが、だんだんとそれが他人事には聞こえなくなってきた。クライミングでもオンサイトとかレッドポイントだとかシビアに語るのがクライマーとして自然だと考えているが、はたして60,70になってもそんなことを言っているだろうか?そうではあるまい。体力は落ち記憶力もおぼつかなくなって、何度トライしても初見と同じになってしまうかもしれない。

 でもそれもよいではないか!登れるだけでも幸せ、若いクライマーといっしょに話しているだけでも楽しい。これもまたクライミングの良いところだと思う。自分を笑い他人を励ますクライマーになりたい。

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2018年10月4日(木)

クライミングを始めるのに良い季節、

本日レディースデイ!

10月は空気も乾燥してきて、気温も暑からず寒からず。ちょっと寒い位がホールドが持ちやすくて、ボルダリングやクライミングをするには良い季節です。外へ出かけれれば快晴の青空の下、紅葉も始まり気持ちよく登れるでしょう。

ゲッコーは本日レディスデイ、会員女性は500円(会員以外700円)です。

 

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2018年10月1日(月)

ゲッコーの年パスはおすすめですよ

クライミングによらず、本当に楽しみたい、上達したい、ダイエットしたい、強くなりたい、ストレス解消したい…と思えば興味本位でちょっとやってはすぐやめる取り組みではだめでしょう。最低3か月、そして1年、3年、10年、20年とやって初めて物事の深みや人生における価値、楽しみや喜びが味わえるのではないでしょうか?そこには進学、就職、転職、結婚様々な人生の節目があってもとにかく続けようという意志、そしてつかず離れず良い距離感で励ましてくれる仲間が必要です。

フリークライミングジム ゲッコーは気軽にご利用される方も大歓迎なのですが、年パスを購入して1年に40回以上(約週一)はジムを利用して元をとろうというような方を特に応援します。年パス購入の方には優先してクライミングやトレーニングのコーチ、パートナーを務めさせていただきます。ご希望の方にはお一人お一人ノートを取ってサポートします。これで年間6万円。小学3年から年配の方までどなたでも。私も勉強させてもらい一緒に上達を目指します。(年パスサポートは先着40名限定、以後は教室でのサポートとさせていただきます)

      公益社団法人日本山岳ガイド協会認定スポーツクライミングインストラクター 土肥浩嗣

 

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2018年9月25日(火) 

ビヨンド・リスク~世界のクライマー17人が語る冒険の思想~

この本は最近文庫化された。文庫本の帯で山野井泰史が「この本を何度読み返したことだろう」と述べているが、自分も発売から22年の間、折に触れ何度もページをめくっている。今ふと思ったけどこの22年というのはそのままゲッコーの歴史(というと大げさだけど)に重なることになる。本書の内容は著者ニコラス・オコネルによるクライマー17人のインタビュー集だ。インタビューを受けたのはラインホルト・メスナーを筆頭にリカルド・カシン、ヴァルテル・ボナッティ、ロイヤル・ロビンス、ウォレン・ハーディング、ヴォルフガング・ギュリッヒ、リン・ヒル、ピーター・クロフト、トモ・チェセンなど。アルパインクライマーだけでなく、ヨセミテクライマーやフリークライマーが多く含まれているのが、我々世代のクライマーにはたまらないところだ。

この本をバイブルのようにしている人はたくさんいると思うが、17人のクライマーの思想や哲学や行動を等身大のこととして実現しえたのは山野井クラスの人だけであって、ほとんどの人が遠く及ばないのは世の習いであろう。しかし読書レベルであったにしても、それぞれのヒーロー、ヒロインの歴史、生の声に少しでも触れることによって、我々のクライミングや登山、人生に深みとか味わいが与えられてきたのではなかろうか。今ゲッコーに来ている人たちは、この本とは別世界にいるのかもしれない。しかしジム・クライミングも、大きなクライミング文化、哲学、思想のひとつの副産物として生まれてきたんだよ、ということを嫌がられない程度に伝えていきたい。それが、古くからジムをやってきた者の一つの使命だと信じて。

 

ゲッコー通信

2018年9月22日(土)

段、級について少し考える

最近ジムに来ている子供のお母さんから、次のような質問を受けた。「水色シールが全部登れたら、うちの子は8級がいただけるのでしょうか?」 なるほどそろばんとか書道とか、柔道でも剣道でも昇級試験に受かれば、その級や段が与えられる。

ボルダリングにおける級とか段は、課題に付けられた難易度であって、それが何本登れたからといって資格的な段とか級が与えらるわけではありません、と答えたものの、これが正しい答えとは言えなくなってきている。

たった一本の段や5.14を登っただけで、多くの人があの人は段持ちのボルダラーだとかフォーティーンクライマーだとかと称える。個人的には安定して少ないトライ数でそれらのグレードを何本も登れて初めて○○クライマーと言えるんじゃないの?と考えてきたが、ここ数年クライミングジムの激増と相まってクライミングに対する考え方も大きく変化している。昨年、中央のクライミングジムが中心になってボルダリング検定が始まった。まさにこれは検定員の前で指定難易度の課題を登ることができれば、その人に5級とか1級とかが認定がされるもの。

面白いと思うし、ジムに通う人の励みにはなると思う。しかしクライマーの多くが何級クライマーという基準でしか見られない社会がいずれ来ると想像すると、クライミングを登山の一部として考えてきた者にとっては抵抗がある。あの人はあの名ルートを開拓した人とか、粘り強い登りをする人とか、美しい登りをする人とか、その人の経験とかクライミングに取り組む姿勢とかで見るのが自然ではないか。クライミングはじっくりと長く深く取り組む対象であるのに、ちょっとやってはやめる軽薄な風潮を煽らないか?いやいや、こおいう動きがクライミングのすそ野を広げクライミングを発展、熟成させていく……、のかな?