ゲッコー通信

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2018年9月25日(火) 

ビヨンド・リスク~世界のクライマー17人が語る冒険の思想~

この本は最近文庫化された。文庫本の帯で山野井泰史が「この本を何度読み返したことだろう」と述べているが、自分も発売から22年の間、折に触れ何度もページをめくっている。今ふと思ったけどこの22年というのはそのままゲッコーの歴史(というと大げさだけど)に重なることになる。本書の内容は著者ニコラス・オコネルによるクライマー17人のインタビュー集だ。インタビューを受けたのはラインホルト・メスナーを筆頭にリカルド・カシン、ヴァルテル・ボナッティ、ロイヤル・ロビンス、ウォレン・ハーディング、ヴォルフガング・ギュリッヒ、リン・ヒル、ピーター・クロフト、トモ・チェセンなど。アルパインクライマーだけでなく、ヨセミテクライマーやフリークライマーが多く含まれているのが、我々世代のクライマーにはたまらないところだ。

この本をバイブルのようにしている人はたくさんいると思うが、17人のクライマーの思想や哲学や行動を等身大のこととして実現しえたのは山野井クラスの人だけであって、ほとんどの人が遠く及ばないのは世の習いであろう。しかし読書レベルであったにしても、それぞれのヒーロー、ヒロインの歴史、生の声に少しでも触れることによって、我々のクライミングや登山、人生に深みとか味わいが与えられてきたのではなかろうか。今ゲッコーに来ている人たちは、この本とは別世界にいるのかもしれない。しかしジム・クライミングも、大きなクライミング文化、哲学、思想のひとつの副産物として生まれてきたんだよ、ということを嫌がられない程度に伝えていきたい。それが、古くからジムをやってきた者の一つの使命だと信じて。

 

ゲッコー通信

2018年9月22日(土)

段、級について少し考える

最近ジムに来ている子供のお母さんから、次のような質問を受けた。「水色シールが全部登れたら、うちの子は8級がいただけるのでしょうか?」 なるほどそろばんとか書道とか、柔道でも剣道でも昇級試験に受かれば、その級や段が与えられる。

ボルダリングにおける級とか段は、課題に付けられた難易度であって、それが何本登れたからといって資格的な段とか級が与えらるわけではありません、と答えたものの、これが正しい答えとは言えなくなってきている。

たった一本の段や5.14を登っただけで、多くの人があの人は段持ちのボルダラーだとかフォーティーンクライマーだとかと称える。個人的には安定して少ないトライ数でそれらのグレードを何本も登れて初めて○○クライマーと言えるんじゃないの?と考えてきたが、ここ数年クライミングジムの激増と相まってクライミングに対する考え方も大きく変化している。昨年、中央のクライミングジムが中心になってボルダリング検定が始まった。まさにこれは検定員の前で指定難易度の課題を登ることができれば、その人に5級とか1級とかが認定がされるもの。

面白いと思うし、ジムに通う人の励みにはなると思う。しかしクライマーの多くが何級クライマーという基準でしか見られない社会がいずれ来ると想像すると、クライミングを登山の一部として考えてきた者にとっては抵抗がある。あの人はあの名ルートを開拓した人とか、粘り強い登りをする人とか、美しい登りをする人とか、その人の経験とかクライミングに取り組む姿勢とかで見るのが自然ではないか。クライミングはじっくりと長く深く取り組む対象であるのに、ちょっとやってはやめる軽薄な風潮を煽らないか?いやいや、こおいう動きがクライミングのすそ野を広げクライミングを発展、熟成させていく……、のかな?

ゲッコー通信

2018年9月20日(木)

消費のクライミングと反芻のクライミング

自分の考えが小さく固まってしまい、老化の一途を辿っていることを物語るような話であるが、最近同じ課題やルートを何回でも登って味わいたいという気持ちが強い。若い時はジムでも岩場でも次から次へといろんな課題を落としていく消費欲にあふれているけど、今はこれまでに登ったルートでも、これから登る課題でも、同じものを何回でも登りたいと思ってしまう。反復に耐えうるルートとの出会いを欲している。小川山や雑穀谷には長年の親しみと重なってそのようなルートがいくつかある。秋晴れの雑穀へ行きたくなってきた。でも未知の岩場とか海外のクライミングに思いをはせる気持ちはまだまだ失いたくはない。(写真は5年前位のものです)

ゲッコー通信

2018年9月17日(月)敬老の日

年齢とクライミングについて

敬老の日だから年齢について考える。自分より若い人と話すとき年齢は言い訳とか自分を優位に見せるための方便になりやすい。自分が若い時は…、もう年だから…、ついつい気をつけていてもそんな言葉が口から出てくる。見苦しい、クライマーらしくない。自分より年を召した方でクライミングを楽しんでいる人はたくさんいる。楽しんでいる人間は聞き苦しい言葉を並べ立てないだろう。…と書いていたら考えるのが嫌になってきた。そうこうしている間に人生でクライミングできる時間は刻刻と減っている。ごたごた考える前に登ろう!

ゲッコー通信

2018年9月15日(土)

子供と一緒にジムで登るということ

クライミングジムでは親子で楽しく安全に気軽にボルダリングが楽しめる。子供そっちのけで自分のクライミングに集中しても、ゲッコーの場合他のお客さんが面倒を見たり、子供がマットの上を駆け回ってもおおらかに放置するケースが多い。もちろん、他のお客さんの迷惑になるから、そおいう場合誰かが子供を叱ってもまあそれは常識的なことであろう。今ここで言いたいのはそんなルールとかマナー的なことではない。長年クライミングジムをやってきて思うのはクライミングの本質ということである。まだ言葉も話せない幼児が、真剣に課題にトライする父親をじっとみて、失敗すれば残念そうな、完登すれば喜びの表情を浮かべる。そこにボルダリングとかクライミングの本質を見たような気がした。遊園地のジャングルジムで子供を遊ばせるのとはまた違った、ゲッコーというクライミングジムでしか感じれない何か。ジム経営の喜びとか目的はそんな瞬間にある。

ゲッコー通信

2018年9月13日(木)

散り椿

TVに岡田准一が出ていたので、富山がロケ地に使われていることもあり、近日公開される映画「散り椿」ががぜん観たくなってきた。完全にCMにやられている。

原作は葉室麟。昨年まだそんな高齢ではないのに惜しくも亡くなった。藤沢周平には敵わない(俺的にね)けど、嫌いではないので自分も10作品ほど読んでいる。小説も映画を見る前に読もうかなー、などと書斎に寝転んでふと本棚を見上げると、なーんだそこには「散り椿」の背表紙が…。記録を辿ると6年まえの9月に読んでいた。

数ページ読み始めるとすぐ引き込まれた。その文体は誰もが語るように、まさに静謐。いつしか相手役の黒木華と武家言葉で話す瓜生新兵衛(岡田准一)になっている自分がいた。読書の秋、クライミングの秋。

ゲッコー通信

2018年9月8日(土)

リード女子微増中!

ボルダリング女子もいいけど、ロープをきれいに束ねる女子もカッコいいよね!!

ゲッコーではクライミングテクニックはもちろん、道具の扱いも丁寧に指導しますよ。

ようやく涼しくなって、いよいよクライミングシーズンの到来です。

 

ゲッコー通信

2018年9月7日(金)

ホールドはまだまだそのまま

昨年2017年のお盆過ぎに全面付け替えしたホールドですが、当分はそのままです。

既存の課題をじっくりと味わって下さい。以前登れたものでも今は登れないかもしれないよ!