クライミングライフ#9/20

クライミングにおける感謝

 感謝の気持ちが大切、と言うと何やら胡散臭いが、クライミングライフにおいて煮詰まらないための対策としてこの言葉をあげておきたい。最初これだ!と感じて始めたボルダリングもそのうちトーンダウンしてくる。なかなか上達しないことを他人と比較したり、目標を見失ったりする。フリークライミングの言葉のイメージ、すなわち縛られない自由で開放的なイメージそれ自体にも縛られてしまっている。自分が思い描く理想に囚われてしまうのは、注意していないと誰でもはまってしまう日常のワナだ。そのワナにひっかからないための対策が感謝の気持ち。身体が健康なことに感謝、登る時間を与えてくれた家族に感謝、お金をくれる会社に感謝、極小スタンスに立てるミューラーに感謝、何でも感謝。感謝することが、囚われた意識から自分を逃がして自由にしてくれる。感謝することが身につけば、上達は間違いない。一朝一夕では身につかないスキルではある。

クライミングライフ#8/20

この本を深く理解したい

ロクスノ086「トレーニング本の系譜」でイチオシと書いてあった「パフォーマンス ロック クライミング」自分もそう思う。以下同書より抜粋。

「クライミングはムーヴ主体のスポーツである。ほとんどのクライマーがこの点を見落としていて、筋力や柔軟性のような、あまりに具体的な、数値に表しやすいことに集中しがちだ。そんなクライマーにはならないようにしよう。トレーニングではコーディネーションとテクニック以上に重視すべきものはないのだから。」

コーディネーションやテクニックには思考や精神面も含まれる。そしてそれらを駆使して岩を登るその行為自体にクライミングの本質があり、完登すらもおまけに過ぎないのだと考える。

クライミングライフ#7/20

季節とクライミング

 県内に良い岩場がない、岩場まで何時間もかかる、というのは何年たっても富山県クライマーの嘆きである。雑穀谷は貴重な岩場だが、登れるのは称名道路が開通している5月から11月の約半年に限られる。その内、夏場は暑すぎたり虫に悩まされたりで登りたくない日も多い。残りの半年以上は車で5時間前後かけて県外の岩場へいくことになる。富山に定住している限りこれは受け入れなければならない現実。でもクライミングを続ける中で、訪れる岩場が一年の季節の流れを感じさせてくれて、日々の生活にリズムとか刺激を与えてくれてなかなかにいいもんだと思えるようになってきた。残雪に新緑が映える5月の雑穀や青海、紅葉の季節も美しい。GWには東北や中国地方に足を延ばす人もいる。夏はやっぱり小川山、瑞牆山。秋の奥秩父ももちろんいい。冬の二子山で寒さに凍え、日当たりで生き返ったり。東海北陸道は冬場に愛知県の豊田の岩場と富山を3時間で繫いでくれる。鳳来の岩場の基部にインターチェンジができたときは驚いた。富山から高速だけで鳳来に来れる日が来ようとは!ここも春と秋には人気のエリア。冬の伊豆城ヶ崎海岸も年に一度は行きたいエリア。岩場はまだまだある。富山のフリークライマーは週末寝不足の目をこすってロングドライブに精を出す。ゲッコーがいつまでもそんな人たちが集う場所であることを願い、仲間がもっと増えることを願う。

 

クライミングライフ#6/20

この1年で頑張れたことってなんですか?

 このように問われてきちんと答えることができるだろうか。毎日仕事や家事に勉強にそれなりに頑張っているよっ、ていうのはたいていの人が言える。でも、頑張った手ごたえとか成果、自分の成長をはっきりと感じるというのはなかなかできない。学生なら試験が良かったとか悪かったとかはっきりと点数が出るから頑張りやすいが、年齢を重ねるほど人間関係や仕事の環境、なんといってもこれまでの経験が邪魔してなかなか達成感を得ることができない。頑張ったというより、もがいている感じ。自分はジムを何とか維持するのに精いっぱいでクライミングでの達成感なんて久しく感じていない。ではなぜ、ジムやクライミングを続けるのか。やっぱり何かしら良い発見があるからだ。どんどん登れなくなっていく自分と、急成長していく子供を比べることからも、寂しさよりむしろ生命力のすばらしさを感じるから。年をとってできなくなることも多いが、逆に身につきつつある落ち着きとか冷静さがクライミングに好影響を与えることも多い。来年も新しい発見を求めて、ジムに来る人と登っていきたい。

クライミングライフ#5/20

今何ができているのか

 クライミングや登山で、これまでできたことができなくなってきた。10年ほど前からそのようなことが目立ってきた。減量の必要性を感じたのと、昔はまっていたカモシカ山行へのノスタルジーもあってその頃、富士登山競走とフルマラソンへの参加を始めた。トレランという言葉も言われ始めた頃で、年に1,2回レースに出るようになった。一昨年まではレースに向けて高揚する気持ちでトレーニングができたのだが、その気持ちの高ぶりを感じなくなってきた。ジムに来る人は100%近くが自分より若い人で、その人らのテンションについていけない自分に、年齢を感じる日々。ここにきて、かなり吹っ切れたというか、いろんなことができなくなることへの戸惑いというか、歯がゆさに慣れてきた。どうあがいたところで、もう20年かそこらで自分の人生は終わる。クライミングできる期間はさらにずっと短い。今できることを大切にするしかない。今登れるのに、走れるのに、それをやめるなんてもったいない。ジムに一人でも多くの人にきていただき共に登り、語り、走る。今〇〇のルートが登れるとか、キャンパでこんなことができるとか、10㎞何分で走れるとかそおいったところを日々確認し、少しでも向上させる努力を重ねたい。ゲッコーで自己と対話し自分のクライミングライフを楽しむ人が一人でも増えれば、借金してでもジムを維持する価値はあるのだ。だから年パス会員になってね。

クライミングライフ#4/20

自分の弱点を知る

 クライミングを始めたならその上達を望み、上達に喜んだり、上達を感じないことに悩んだりするだろう。20年前に山と渓谷社が出した「パフォーマンスロッククライミング」という本がある。その第1章に「最も弱い環(わ)の原則」ということが書いてある。輪ゴムみたいなものを引っ張れば、切れるのは一番弱い部分であるように、クライミングのパフォーマンスもその人の弱点に左右されるということ。だから自分の弱点を知ってそこを強化する方が、得意なことを伸ばすよりも効率よく上達につながるという考え方だ。おそらく正しい原則だと思う。しかし誰しも自分の弱点を探すのは面白くないし、他人から指摘されたら腹がたつし、認めたくないというのが現実である。本当の弱点は死ぬまで治らないものだし、その弱点こそがその人の長所であると考えることもできる。自分の弱点は程よく気にしながらクライミング(に限らず趣味でも仕事でも)をやり続ける。そうすれば何かしらの上達があると信じる。面白くなくなったら何か別のことをすればいいよ、というのは悪魔のささやきで、それを繰り返していたら上達はあり得ない。100年人生、人生は何回でもやり直しがきく、とは言っても元気で体が自由に動く時間は意外に少ないのではないか?

 

クライミングライフ#3/20

月にいくらでクライミングしているか

 当然のことながらクライミングをするにはお金がかかる。クライミングにどれだけお金をかけるかは人それぞれ。クライミングで稼げる人なんてほんの一握り。お金の心配をしないように日々稼いだり節約しなければならない。お金の心配は生活すべてに支障をきたす。クライミングどころではない。儲からないクライミングジムの経営者ほどクライミングから離されている状態はないのかもしれない。今後自分がお金を意識しないでクライミングできる日は来るのだろうか?毎月満足のいくクライミングができている人は、生活が安定している人だろう。自分が置かれている場所からはほぼ逃れることはできない。逃れる術があるとすれば発想の転換か?

クライミングライフ#2/20

自分の時間の使い方をコントロールしたい

 現在あなたはどのような生活をしているだろうか?日々の生活は決まりきっているようで、その時々で波がある。クライミングに費やせる時間はその波に大きく影響される。手帳や日記をつけることは、その波の中でクライミングを続ける上でとても有用なことだと思う。日記を読み返せば仕事や学業が忙しい時期であったり、自分の気持ちの変化の傾向などをある程度つかめたりする。自分の場合①100枚の分厚いノートをいつも持ち歩き、かなり病的なくらい今何をしたか書いている。それにプラスして②バーチカルのスケジュール帳と③10年日記というのも付けている。これは長年の思考錯誤の中で今自分に一番しっくりなじんでいるやり方だが、過去の行動を検索したいときかなり手間取るので現在①と②がまとめれないか考えている。とにかくこのデジタル社会ではあるけど、自分の手書きで記録を残すことがいい感じだ。アレックス・オノルドもアレックス・メゴスもあの平山ユージもスケジュール帳ではないけど、ルートのメモとかトレーニング記録をノートに細かく書き込んでいるのを本とか映像で見ることができる。ノートをとることを強く勧めたい。

日誌#5

ジムを大学生Y君に任せて、蓼科へ。ビーナスラインはガスっていたが、次第に回復してきた。蓼科山キュイジーヌを味わい、旧交を温める。

クライミングライフ#1/20

はじめに

 クライミングや登山を始めて40年が経とうとしています。はじめは冒険や挑戦、自分の体を苛め抜くといったことに楽しさを感じ、純粋にクライミングに打ち込む日々でしたが、年齢を重ねるとともにに仕事や家庭との両立に悩みながら、なんとかクライミングを続けてきました。ここ10年はクライミングジムの経営のみでなんとか暮らしています。

 クライミングをまだまだあきらめずに、これから先どうやって生きていくか?借金ばかりが増える経営とは名ばかりのジム運営も含め、それでもクライミングを続けていきたい。そんな生活の中での小さなアイディアをまとめておきたいと思います。先が見えない時代に生きるのは安定した仕事を持っている人もそうでない人も同じです。自分を含めた家族の老化も深刻な問題です。だとしても、日々よりよいかたちで過ごしたい。クライミングを通じて暮らしを整えることを、明日への活力につなげたい。

へたな考え休むに似たりとも申しますが、考えあぐねることもまた自分のクライミングの一部です。自分の思考の整理といった感じでまとめていきます。同時に都会のトレンドとは別の富山県で暮らす超ローカルなクライミングライフを考えます。フィクションとの境界はあいまいですが…。