本屋をぶらつくのが俺の日課。「新宿鮫Ⅺ」が平積みしてあった。迷わず購入、するだけの金が今の俺にはない。「新宿鮫Ⅱ」毒猿が俺と鮫島との最初の出会い。以来二十数年、永い付き合いになる。Ⅹから既に8年の月日が流れ、俺は本も気軽に買えないくらい落ちぶれてしまった。桃井さんは亡くなり、鮫の旦那は晶と別れ孤独の中にいるようだ。あー読みたい。
日誌#3
ジム定休日。Dさんと雑穀へ。岩は一年で一番良い状態。Kさん、Oさん、県外の人も2名。18日の雑穀はものすごい風。Dさんウィーリーのムーヴほぼ固まる。風が弱まり雨が落ちてきて帰ろうとしているところへ、Tさん到着。チャックをRP。みんな家庭があり仕事があり、いろんなことに折り合いをつけてクライミングを楽しんでいる。ゲッコーはそんな人たちのための基地だ。一人でも多くの人がこの基地を訪れ、深くクライミングを楽しむために使っていただきたい。そしてジムがもっと快適な場所になることを祈っている。
日誌#2
晩秋のこの時期休日ながらお客さんが…。毎年のことだから慣れてはいるが、心も寒くなってくる。ゲッコー通信2009年からのものがWebサイトリニュアルで見やすくなったので、振り返って適当に選んで読んでみる。自分のこの10年が見えて恥ずかしいやら情けないやら。でも日記っていいなと思う。小学生の頃の絵日記も家のどこかにあるかもしれない。いつか探してみようかな。
日誌#1
本日レディースデイ。日中女性数名、リード講習1名、男性数名。ストーブは出したけどまだ未点火。今夜寒いようなら、今冬一発目の点火にしよう。今冬から時間を決めてウェルカムホットドリンクを出そうと考えている。インスタントだけど。例年の灯油協力金100円もよろしくお願いします。
ゆびまかせ#3
クライミングでもマラソンでも仕事でもなんでもそうだけど、どう考えるか?ということについてしばしば考える。大きく整理すると2つの方向性があると思う。小さく考えるか、大きく考えるか。目の前のことに集中する、一瞬一瞬を大切にする、今を生きる、刹那を生きる、と表現されるような考え方。これが小さく考えるという方向性。一方、春夏秋冬一年のサイクルの中で生きる、ピリオダイゼーション、人生のステージを思う、などといった考え方。これが大きく考えるという方向性。自分の内側から見るか、自分を俯瞰してみるか。つまるところ主観と客観ということか。一般的に若い時は前者が勝り、年を追うごとに後者が強くなる。2つの考え方は明確には分けれないし、混合しているし、その割合は刻々と変化する。どちらが良いか悪いかとも言い切れない。どちらも良いところも悪いところもある。具体的、抽象的。白か黒か、はたまた灰色かグラデーションか。動くか止まるか。考えるか行動するか。答えが出ない問いの中で人は生きていくという答え。…言葉遊びだね。
ゆびまかせ#2
私は勘違いしている。私小説を発表する作家きどりか?いや、まて。世の中にはFBやインスタで自分を発信する人が普通にいる。みんな自己顕示欲のかたまりじゃねーか。私がここに文章を打ち込んで、集客につなげれないかと考えるのは、個人事業主として健全な行為ではなかろうか?まあ考えているほど多くの人が読むわけでもないし…。自分の心の遊び、ささやかな文章修行ということで公開しても罪には問われまい。
他人に見られるというのは気持ちに大きな影響を与える。クライミングも同様。それが原因で落ちたり、登れない、ジムに行けないということがままある。ゲッコーはその辺を十分に察しているジムであるぞよ。
「壁ドン!」というマンガはこれまで出たクライミングマンガと比べて、そのジャンルの進化を感じた。
ゆびまかせ#1
キャンプから帰ってジムで道具片付け。タープが焚火臭い(母は「ふつぶりくさい」という表現を使う。標準語ではなんというのか?)広げて乾かすとジム中ふつぶり臭くなった。お客さん数名。夜、町内会寄り合い。明けて月曜、公民館掃除当番が回ってきているので午前中に済ませる。午後、本屋をぶらついていたら、昔の会社の後輩に遭遇。彼は今や社長。夜、このように他人の目に触れる内容の文章を日々更新するということについて考える(というか昔からずーっとそんなことばかり考えている)。日記とは本来他人には見せないもの。作詞家・阿久悠の「日記力」という本を読む。子規の日記、西田幾多郎の日記などもたまに読むけど、集客や経営改善には役立たんよな~。
マイナス→プラスで愉しむ
自虐ネタの芸人ヒロシは今、ソロキャンプのユーチューバーとしてかなり有名であることを知った。ジムのお客さんでも知っている人が何人かいた。動画は焚火をして肉を焼いたり何か語ったりするだけ、ただそれだけなのだが、見ていてひとりでに微笑んでしまうような、癒されるというか心和むものだった。その中に、火打石でなかなか火がつかないシーンがちょくちょく出てくる。ライターで付ければ一発なのだが彼はわざわざ火打石にこだわる。そうやって漸く燃えあがった焚火は、見ているほうも貴重で大切なものに思え、温かい火に感じるのだ。そこがいい。
いろんなものを買って消費することをプラスの愉しみとするなら、ヒロシのソロキャンプはマイナスの愉しみだろう。電卓を使わずに暗算で答えを出せば少し頭が冴える、車で行くところをロードバイクで移動する、GPSを使わずに紙の地図で登山する、フリークライミングも道具に頼らず自分の手足だけで登るという面で、マイナス系の遊びだろう。マニアックだけど、雑穀のボルトが打ってあるジョーズは、リムーバブルプロテクションで登れば充実感が増す。マイナス系は突き詰めるとストイックになりすぎて辛くなる場合もあるけど、逆にプラス方向へ向かうとまた楽しめる。ジョーズをナチュプロで登ったあとでボルトで登ると、ボルトの安心感を大きく感じてまた楽しい。明晩の雑穀キャンプもその方式でいこう。土曜の夜は寒さの中で飲み食いした後シュラフで眠り、帰宅してから自宅と布団の快適さをかみしめていつもよりいい気持でぬくぬくと眠りたい。コスパの高いライフスタイルではないだろうか?
新Webサイトスタート
ゲッコーを始めて24年目の年も余すところ1月半ほど。流行のボルダリングジムと違いお客さんがドッと押し寄せることはない。でも何とか継続していくには一人でも多くの人に知ってもらい来ていただく他ない。新しいWebサイトはいろんな人々とゲッコーをつなぐ扉。こまめに更新してゲッコーの今を伝えたい。
雑穀谷2019 クライミング女子&お母さん
昨年11月からゲッコーで練習した成果を試す時が来た。2019年6月2日(日)雑穀谷は薄曇り、暑からず寒からず快適なコンデション。堰堤工事のトイレや水道がクライマーに配慮して自由に使えるのでさらに快適。駐車スペースも昨年より広く整備された。当初私が期待していた自然の岩の子供たちによるリードには至らなかったが、約半年のジム練習で女子2名とそのお母さんは見違えるほどクライマーらしくなってきた。この日岩場に来ていた10名以上のゲッコーメンバーが応援してくれるなか、涙あり笑いありの充実した日曜となった。
クライミングジムの人工壁は楽しいけれど、どうしたって自然の岩の理屈抜きのすばらしさにはかなわない。ゲッコーの基本姿勢は「人工壁のボルダリングを入り口としてアウトドアのロッククライミングまでを老若男女に優しく広める」ということであることを改めて自覚した。