ゲッコー通信

2019年1月19日(土)

答えの出ない話

モチベーションがない、無気力、やる気がない。確かにそおいう気持ちになったときは辛い。本屋へいけば、どうすればモチベーションを高めることができるか書いた本がたくさん並んでいる。立ち読みしてみれば、なるほどと思うことも多い。しかしモチベーションっていったい何だ?例えばトレーニングのモチベーションがないからって、懸垂10回できないのか?別にできるだろう。モチベーションという言葉にとらわれている限り、幻想ばかりが広がり現実が伴わない。人間にとって言葉は無くてはならないものだけど、言葉に惑わされ振り回されやすい。クライミングでもランニングでもトレーニングでも流行の言葉に踊らされているほとんどの人間がいる。サッカーの本田が以前、僕は常に「準備」をしているといえば、いろんなスポーツ選手や監督までもが「準備」するだけですという。トレーニングでも「インナーマッスル」を鍛えようとか、「体幹」を鍛えようというのが流行れば、しっかり理解もしていないくせに猫も杓子もその言葉を使いだす。自分もそのひとりだ。言葉で何かのすべてを表すことはできない。「美人」といっても時代で変わるし人それぞれで変わる。自分で言葉をしっかり反芻して自分だけの現実をしっかりとつかみたいものだ。とはいうものの、話をひっくりかえすと、現実だけではどうなんだろう?日々会社で働き、食べて出して寝て、クライミングとかしてそれだけが現実ではつまらない。何かしらの幻想があるから人間なのかもしれない。堂々巡りの思考のなかで、もがけるだけ幸せなのかもしれない。でも充実している人間はこんなこと考えもしないともいえる。

ゲッコー通信

2019年1月4日

トラバース陣取りゲーム

両サイドからトラバースしてきて、対面したらジャンケン。負けたら降りてスタートに戻る。相手のスタートホールドをつかんだら勝ち。かなり持久力が要求されます。ゲッコーキッズは来る人来る人勝負を挑んでいます。お客さんが混んできたらやめること。他人に迷惑をかけないこと。

ゲッコー通信

2019年1月1日(火)

新年あけましておめでとうございます。

あけましておめで登うございます。今朝の富山は立山連峰も見え穏やかな年明けを迎えることができました。今年もクライミングを通して充実した一年を皆さんと過ごせることを祈っています。よろしくお願いします。

今年もありがとうございました

今年もありがとうございました

12月27日(木)

2018年、たくさんの方にジムを利用していただきありがとうございました。来年も一人でも多くの方が、ボルダリングやフリークライミングに興味を持ってゲッコーに足を運んで下さることを願っています。ゲッコーは室内のクライミングを入り口として自然の岩へも出かけようという考えで日々運営しています。来る2019年は小中学生や高校生のジュニア、50歳後半位からのシニアの方にも利用しやすい教室を企画しています。元旦も13:30~17:00オープンしますので、登り初めにお越し下さい。

ゲッコー通信

12月11日(火)

元旦ボルダリング、クライミング

毎年1月1日の13:30~17:00ごろジムを開けている。たまにはいいか、ということで今年の元旦はジムを開けなかった。いろいろ悩みは多けれど、とりあえず健康で日々登れていることは幸せなことである。よって今年もつつがなくの祈りを込めて2019年元旦クライミングを再開しようと思っている。別段何かイベントをやるわけでもなくいつも通り登り、しゃべるだけです。ボルダーもいいけど、誰かとロープを結んでリードしたいですね。

ゲッコー通信

2018年12月4日(火)

天候に負けるな!

自然の岩のクライミングが好きな人は、平日は会社で仕事、週末仲間と連れ立って県外の岩場に出かける。富山からは大体4~5時間かけて岩場へ向かうことになる。でも考えて見るとそれがものすごく遠いということでもない。都会の人だって似たような時間がかかるだろう。距離よりもこれからの季節、富山の人にとって障害になるのは雪や悪天候によるドライブコンディションの悪化と、気分的にも暗くなることだ。富山が吹雪いていても、山を越えれば快晴、出かけて良かったと思うけど、帰りはまた鉛色の空の下へ向かって気分は落ち込んでいく。冬のクライミングに出かける度に何度、表日本と裏日本の気象の差を恨んだかわからない。

富山に住んでいる限り、表日本の太陽を望んでも無理な話。苦労して快晴の下にたどり着く分、クライミングへの集中度も高まるということにしておこう。雪が積もってもゲッコーの中はリードトレーニングができます。かなり寒いけど。冬のリード教室やっています。

ゲッコー通信

2018年11月29日(木)

同じルートを登ることから見えてくるもの

こんな経験はないだろうか?

中学や高校時代の課題図書で夏目漱石をむりやり読んで、まったく面白くもなんともなかったものが、大人になってからもう一度読んでみると、その面白さに驚いてしまう。若い時に感じる面白さと、年齢を重ねるなかで感じる面白さの質が変化するからだろう。

クライミングにもそれは言える。若い時トレーニングをガンガンやってやっと登れたルートを10年20年後にまたトライしてみる。力づくでねじ伏せた感のあるルートが今やると全くだめどころか、意外に簡単に登れてしまうこともある。極小のスタンスに足を乗せる冷静さが経験により身についたりして、筋力的にかなり衰えていても登れることがあるわけだ。今増えているボルダリングジムでは、なかなかこんな体験はできない。ゲッコーでもジムのボルダリングだけではなかなかこの辺のことが伝えられないけど、生岩クライミング教室や会話の中で伝えることはできる。クライミングが子供から大人までそれぞれの愉しみ方ができる奥の深いものであることの一例だと思う。何事も一長一短があるわけだが、グレードしか見えていないクライミングとか、次々と課題チェンジする消費化に走るボルダリングからは見えないクライミングの魅力かもしれない。

ゲッコー通信

11月18日(日)

日日是好日

11月としては暖かい日曜の午後。新しい男性数名にいつもの子供たちと父親、母親その他。ボルダリングは自分の日常だが、寒さが身に染みる年齢、暖かい日は気持ちよく体が動く。子どもたちを観察していると面白い。ほんの2時間程の短い時間の中で仲良く遊んだり、少々険悪になったり泣いたり笑ったり目まぐるしい。多分そのような豊かな感情の変化があるから一日が長く感じるのだろう。年齢を重ねるに従い感情の起伏は穏やかになり日々が飛ぶように過ぎていく。それは決して悪いことではないと思うけど、こうやって子供と触れ合ったり、時には年齢の離れた年下の人、また時には人生の先輩と過ごせば一日はより豊かになる。ジムでのボルダリングやクライミングは自分のペースで体を動かしながら、気安く人と話ができる時間が持てることも一つの効用であると思った。

ゲッコー通信

2018年11月17日(土)

文章について、あるいは上達について

自分が面白いとか好きだと思う文章に出会いたいと常々思っている。そして頻繁に書店を彷徨う。またそんな文章を自分でも書けないかと夢想する。あわよくばそんな文章を人が読んで買ってくれないかと妄想する。世の中にはそんな愚か者をカモに、文章読本とか小説作法といった類の本が氾濫している。文章に限らずスポーツとか楽器演奏とかの教則本も多い。クライミングやボルダリングの本もずいぶんと増えた。

プロ野球の松井秀樹が引退後、新聞にコラムを連載していた時があった。それは我が家で購読している北日本新聞にも載っていて、一読後その文章に魅かれた自分は次の掲載を心待ちにしていた。のちに「エキストラ・イニングス 僕の野球論」と単行本化され改めて買って読んでもみた。松井の文章の何に魅かれたのだろうか?文章のプロでもない松井が書いている意外性か?隣県石川出身の親近感か、単に松井が好きなのか?普通の文章なんだけど、まじめさとか知性とか深く考えているんだなといった雰囲気が伝わってくる、それもどこか爽やかに。文体ともいえないし、自分がいいなーと思うとしか今のところ表現できない。

自分がいい感じだと思う文章がなぜそうなのか辛抱強く考えることをしないで、すぐにハウトゥー情報にその答えを探そうとする。その安易さが上達を阻んでいる。というか何につけ上達したいとか、うまくやろう、効率よくやろうと思ってしまう。そう思った瞬間に捕まえたい物事がスルリと逃げて隠れてしまう。ゲッコーの存在がこれを象徴しているのだが、ゲッコーを通してクライミングすることが上達への近道であるというパラドクスも成り立つのではないか?なんてことも妄想する。

ゲッコー通信

2018年11月16日(金)

暖冬?暖冬になってぇ~。

11月1日に出したストーブにまだ点火していない。夜ジムに来る子供やお客さんの第一声が「寒い」だが、まだ点けていない。灯油代をケチっていることもあるけど、登り始めると丁度良い位に体が温まってくる程の気温には、今のところ納まっている。ここ最近、子供が体を痛めたということがゲッコーであるけど、この寒さが関係しているはず。しかし、5,6年前は極寒のゲッコーでもこおいうことはなかった。自分も寒い中やるのもボルダリングだと強く思っていた。今、ジムに来ている大人や子供が弱くなったのではなく、ボルダリングをとりまく環境全体が変化して各地のボルダリングコミュニティの感覚が快適性に傾いているのだと思う。つまり「寒さ」とは単に気温で感じるだけではなく、自分の置かれている雰囲気、環境で感じるものだ。

社会的なクライミング観が数年前とは変わったということだ。一つのマイナーな事象がメジャーに変わる時たいてい起こる現象ではないだろうか。クライミングシューズからして快適でないから、少しでもきついシューズははけないというお客さんが多くなった。クライミングとは何か?ボルダリングとは何か?レジャーとは、スポーツとは、登山とは、武道、茶道との共通点は違いは、資本主義とは、教育とは、仕事とは、遊びとは、老化とは…様々な疑問に迷いながら、ゲッコーを続ける先に自分の求める何かがあるというのか?

いや待て!「懐が寒い」とは、実際に寒いのではなくお金がなくて心に余裕がないということ。こんな文章は単なる儲からないジムオーナーの嘆きに過ぎないんだな。資本主義社会の中で敗れつつある者の愚痴に過ぎないんだな。

同情するなら金をくれ。こんな文章は誰も読みたくないだろうな。いやでもあえて公開しよう。自分の文章が磨かれる過程あるいはこの20数年ゲッコーと生きてきた証として。