クライミングライフ#5/20

今何ができているのか

 クライミングや登山で、これまでできたことができなくなってきた。10年ほど前からそのようなことが目立ってきた。減量の必要性を感じたのと、昔はまっていたカモシカ山行へのノスタルジーもあってその頃、富士登山競走とフルマラソンへの参加を始めた。トレランという言葉も言われ始めた頃で、年に1,2回レースに出るようになった。一昨年まではレースに向けて高揚する気持ちでトレーニングができたのだが、その気持ちの高ぶりを感じなくなってきた。ジムに来る人は100%近くが自分より若い人で、その人らのテンションについていけない自分に、年齢を感じる日々。ここにきて、かなり吹っ切れたというか、いろんなことができなくなることへの戸惑いというか、歯がゆさに慣れてきた。どうあがいたところで、もう20年かそこらで自分の人生は終わる。クライミングできる期間はさらにずっと短い。今できることを大切にするしかない。今登れるのに、走れるのに、それをやめるなんてもったいない。ジムに一人でも多くの人にきていただき共に登り、語り、走る。今〇〇のルートが登れるとか、キャンパでこんなことができるとか、10㎞何分で走れるとかそおいったところを日々確認し、少しでも向上させる努力を重ねたい。ゲッコーで自己と対話し自分のクライミングライフを楽しむ人が一人でも増えれば、借金してでもジムを維持する価値はあるのだ。だから年パス会員になってね。

クライミングライフ#4/20

自分の弱点を知る

 クライミングを始めたならその上達を望み、上達に喜んだり、上達を感じないことに悩んだりするだろう。20年前に山と渓谷社が出した「パフォーマンスロッククライミング」という本がある。その第1章に「最も弱い環(わ)の原則」ということが書いてある。輪ゴムみたいなものを引っ張れば、切れるのは一番弱い部分であるように、クライミングのパフォーマンスもその人の弱点に左右されるということ。だから自分の弱点を知ってそこを強化する方が、得意なことを伸ばすよりも効率よく上達につながるという考え方だ。おそらく正しい原則だと思う。しかし誰しも自分の弱点を探すのは面白くないし、他人から指摘されたら腹がたつし、認めたくないというのが現実である。本当の弱点は死ぬまで治らないものだし、その弱点こそがその人の長所であると考えることもできる。自分の弱点は程よく気にしながらクライミング(に限らず趣味でも仕事でも)をやり続ける。そうすれば何かしらの上達があると信じる。面白くなくなったら何か別のことをすればいいよ、というのは悪魔のささやきで、それを繰り返していたら上達はあり得ない。100年人生、人生は何回でもやり直しがきく、とは言っても元気で体が自由に動く時間は意外に少ないのではないか?

 

クライミングライフ#3/20

月にいくらでクライミングしているか

 当然のことながらクライミングをするにはお金がかかる。クライミングにどれだけお金をかけるかは人それぞれ。クライミングで稼げる人なんてほんの一握り。お金の心配をしないように日々稼いだり節約しなければならない。お金の心配は生活すべてに支障をきたす。クライミングどころではない。儲からないクライミングジムの経営者ほどクライミングから離されている状態はないのかもしれない。今後自分がお金を意識しないでクライミングできる日は来るのだろうか?毎月満足のいくクライミングができている人は、生活が安定している人だろう。自分が置かれている場所からはほぼ逃れることはできない。逃れる術があるとすれば発想の転換か?

クライミングライフ#2/20

自分の時間の使い方をコントロールしたい

 現在あなたはどのような生活をしているだろうか?日々の生活は決まりきっているようで、その時々で波がある。クライミングに費やせる時間はその波に大きく影響される。手帳や日記をつけることは、その波の中でクライミングを続ける上でとても有用なことだと思う。日記を読み返せば仕事や学業が忙しい時期であったり、自分の気持ちの変化の傾向などをある程度つかめたりする。自分の場合①100枚の分厚いノートをいつも持ち歩き、かなり病的なくらい今何をしたか書いている。それにプラスして②バーチカルのスケジュール帳と③10年日記というのも付けている。これは長年の思考錯誤の中で今自分に一番しっくりなじんでいるやり方だが、過去の行動を検索したいときかなり手間取るので現在①と②がまとめれないか考えている。とにかくこのデジタル社会ではあるけど、自分の手書きで記録を残すことがいい感じだ。アレックス・オノルドもアレックス・メゴスもあの平山ユージもスケジュール帳ではないけど、ルートのメモとかトレーニング記録をノートに細かく書き込んでいるのを本とか映像で見ることができる。ノートをとることを強く勧めたい。

日誌#5

ジムを大学生Y君に任せて、蓼科へ。ビーナスラインはガスっていたが、次第に回復してきた。蓼科山キュイジーヌを味わい、旧交を温める。

クライミングライフ#1/20

はじめに

 クライミングや登山を始めて40年が経とうとしています。はじめは冒険や挑戦、自分の体を苛め抜くといったことに楽しさを感じ、純粋にクライミングに打ち込む日々でしたが、年齢を重ねるとともにに仕事や家庭との両立に悩みながら、なんとかクライミングを続けてきました。ここ10年はクライミングジムの経営のみでなんとか暮らしています。

 クライミングをまだまだあきらめずに、これから先どうやって生きていくか?借金ばかりが増える経営とは名ばかりのジム運営も含め、それでもクライミングを続けていきたい。そんな生活の中での小さなアイディアをまとめておきたいと思います。先が見えない時代に生きるのは安定した仕事を持っている人もそうでない人も同じです。自分を含めた家族の老化も深刻な問題です。だとしても、日々よりよいかたちで過ごしたい。クライミングを通じて暮らしを整えることを、明日への活力につなげたい。

へたな考え休むに似たりとも申しますが、考えあぐねることもまた自分のクライミングの一部です。自分の思考の整理といった感じでまとめていきます。同時に都会のトレンドとは別の富山県で暮らす超ローカルなクライミングライフを考えます。フィクションとの境界はあいまいですが…。

日誌#4

本屋をぶらつくのが俺の日課。「新宿鮫Ⅺ」が平積みしてあった。迷わず購入、するだけの金が今の俺にはない。「新宿鮫Ⅱ」毒猿が俺と鮫島との最初の出会い。以来二十数年、永い付き合いになる。Ⅹから既に8年の月日が流れ、俺は本も気軽に買えないくらい落ちぶれてしまった。桃井さんは亡くなり、鮫の旦那は晶と別れ孤独の中にいるようだ。あー読みたい。

日誌#3

ジム定休日。Dさんと雑穀へ。岩は一年で一番良い状態。Kさん、Oさん、県外の人も2名。18日の雑穀はものすごい風。Dさんウィーリーのムーヴほぼ固まる。風が弱まり雨が落ちてきて帰ろうとしているところへ、Tさん到着。チャックをRP。みんな家庭があり仕事があり、いろんなことに折り合いをつけてクライミングを楽しんでいる。ゲッコーはそんな人たちのための基地だ。一人でも多くの人がこの基地を訪れ、深くクライミングを楽しむために使っていただきたい。そしてジムがもっと快適な場所になることを祈っている。

日誌#2

晩秋のこの時期休日ながらお客さんが…。毎年のことだから慣れてはいるが、心も寒くなってくる。ゲッコー通信2009年からのものがWebサイトリニュアルで見やすくなったので、振り返って適当に選んで読んでみる。自分のこの10年が見えて恥ずかしいやら情けないやら。でも日記っていいなと思う。小学生の頃の絵日記も家のどこかにあるかもしれない。いつか探してみようかな。